忍者ブログ
ADMIN / ENTRY
2024
05
<<  >>
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
高校で必修のハズなのに、化学関連の雑学は少ない? というわけで、収集&記録していくことにします (・∀・)超不定期更新! 化学以外の分野もあるかも
New Entry
2012/08/29 ---- 「元素のふしぎ」展 
2010/03/23 ---- 【書籍】元素生活
2009/09/06 ---- 【Fe】レンガの色
2009/04/28 ---- 【Pb】楽聖とワイン
2009/04/26 ---- 放射能標識
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

前編でハーバーがアンモニア合成法を確立した話をしました。

第一次世界大戦中、彼の母国ドイツでは硝石の輸入がストップしたため、
ハーバー法で得られたアンモニアから硝酸を作り、火薬の原料としました。
アンモニア、硝酸の工場も建てられ、ハーバーはドイツに大きく貢献した
化学者としてベルリン大学の教授にまでのぼりつめました。
ついでに言うと、ハーバーの両親はユダヤ人です。
出自を問うている余裕はなかったんでしょう。

その第一次世界大戦中、ハーバーは毒ガス研究にも着手します。
実戦で用いたのは塩素ガス。
塩素は空気よりも重いので(空気の平均分子量28.8、塩素71)、
塹壕に潜んでいる敵兵を狙うのに都合が良かったのに加えて
塩素なら食塩の電気分解で得られ、輸入の必要がなかったからです。

この研究に強く反対したハーバー夫人(クララ)は、夫を止めますが
聞き入れられずに、拳銃自殺してしまいました。

大戦後、アンモニア合成法に関してノーベル化学賞を受賞(前述)。
毒ガス研究については何のお咎めもなかったんでしょうか…。

終戦後、ドイツは多額の賠償金を支払う義務を負います。
その一助になれば、とハーバーが目を付けたのが海水に含まれる金。
当時の文献には、海水1t中に5mgの金が含まれている、とありました。
ここから金を抽出し、賠償金に充てる事ができれば…と
愛国心の強かったハーバーは研究を始めます。

しかし、文献値が実際よりも1000倍程多く記されていたらしく、
この試みは失敗に終わってしまいました。
(計測に使った器具に金が使われていたため、多めに検出されたそうな)

そうこうしているうちに、ヒトラーが台頭、政権をとります。
ユダヤ人迫害政策によって、大学教授の職を追われてしまいました。
その上、第一次世界大戦中にハーバーが開発した青酸化合物の毒ガスが、
ユダヤ人の大量虐殺に使用されたという何ともやりきれない話です。

ハーバーその人はドイツを出国し、イギリス、スイスを経てイタリアに
向かう途中、スイスで亡くなりました。

拍手[0回]

PR
アンモニア、と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
あの強烈な臭い、呼吸の際に作られて体外に排出される…など
「あんな臭い、不要な物質を何で勉強するんだ!」と
思う人も多いでしょう。

しかしこのアンモニア(NH3)、窒素を含んでいるため
意外と役に立つ物質なのです。

無機化学で出てくるハーバー・ボッシュ法は化学式で表すと次の通り。
N2 + 3H2 → 2NH3

そのまんまじゃん。
まぁそうなのですが、空気中の窒素を使う事ができる点が革新的でした。
この方法を確立したのがドイツの化学者ハーバーです。

事の起こりは記録的な農作物の不作。
植物は生長の時に窒素を必要としますが、多くの植物は空気中の窒素を
固定して使う事ができないので、肥料として与えなければなりません。
(マメ科の植物は根粒菌を持っていて、窒素を固定させる事ができる)

そこで窒素肥料を作る為にアンモニアや硝酸(HNO3)が必要になります。
当時は第一次世界大戦間近の緊迫した世界情勢。
輸入に頼るしかない硝石(硝酸カリウム (KNO3)が主成分)が
火薬の製造に当てられてしまい、肥料にまで回ってこない中、
彼の考案した空気からのアンモニア合成は大歓迎されるのです。

農作物の危機的状況から脱し、ハーバーは賞賛されます。
第一次世界大戦が終わると、ノーベル化学賞も受賞しました。

この功績をたたえ、彼の墓には

「空気からパンを作った人」

と刻まれているのです。

拍手[2回]

中学校の教科書にも載っている数少ない、そして最も有名な
化学の法則といえば「質量保存の法則」です。
物質の合計質量は反応前後で変わらない、というあれですね。

この法則を発見したのが、フランスの化学者ラボアジェ。

当時は科学者という職業が確立されていなかったので、
個人で器材を購入しなければなりませんでした。
なので、必然的に科学はお金持ちでないとできなかったのです。

ラボアジェは研究費を稼ぐ為に徴税請負人という職に就きます。
国から指示された税金の何倍もの金額を国民から取り立てて、
差額を手数料として受け取る、という結構あくどい仕事です。
その収入で、「質量保存の法則」を発見した時に用いた
大型の精密天秤などの器具を購入していたそうです。

ついでに言うと、ラアボアジェはこの時の上司の娘と結婚しました。
夫人はとても絵がうまく、実験の様子などのスケッチを担当して
彼の著書、化学教科書の名著「化学要綱」の完成に大きく貢献しています。
(ラボアジェは絵が下手だったらしい。それはそれで見てみたい)

化学の発展に大きく寄与したラボアジェですが、ここでフランス革命勃発。
1793年に国家犯罪人として逮捕されてしまいます。
徴税請負人として国民を苦しめた、というのが逮捕の理由です。
裁判にかけられた時に、自らの業績と国への貢献を主張しましたが、
「共和国は科学者を必要としていない」と一蹴、死刑執行されます。

あまりに偉大すぎて周りの科学者から嫉妬されていた、友達がいなかった
と言われている中、数少ない友人の数学者が言いました。
「彼の首をはねるのに1秒もかからないが、彼の首を作るのには100年かかる」

なんて惜しい事をしてくれたんだ、と後世の人間は思うのです。



拍手[1回]

高校化学I では範囲外になってしまいましたが、
以前の指導要領では、気体の体積と圧力の関係を法則化した
「ボイルの法則」「シャルルの法則」がありました。

今回は「シャルルの法則」を発見したフランスの物理学者
ジャック・シャルルについて。
(シャルルの法則とは、圧力が一定のとき、理想気体の体積は
絶対温度に比例する、という法則)

この法則を実証する為に、彼は水素を用いたガス気球を作ります。
最初の気球は熱して膨張した空気を使っていましたが、それよりも
軽い水素を用いてより効率的な気球を作ろうとしたわけです。

水素気球の公開実験は、好奇心旺盛なパリ市民に大ウケ。
彼は世界で初めて水素気球に乗った人、として多くの人の記憶に残りました。
この実験が成功したのが1783年。

そして数年後にフランス革命勃発。

ベルサイユ宮殿への暴徒乱入の際、運悪くシャルルは宮殿に宿泊中。
国王側の人間と見なされ、殺される……! と思いきや、

「あれ〜、気球の実験やってたシャルル先生じゃありませんか?」

宮殿に突入してきた市民の中で、公開実験を見に行った人がいました。
しかもシャルルの顔まで覚えてます。

その人の説得が実り、シャルル先生命拾い。



※水素はよく燃えて危険なので、現在では気球に使われていません。

拍手[0回]

SEARCH
COMMENTs
[07/25 niwatadumi]
[07/25 niwatadumi]
[09/17 コースケ]
[07/31 yoshi]
[01/17 niwatadumi]
TRACKBACK
COUNTER
アクセス解析
Twitter
Powerd by NINJAブログ / Designed by SUSH
Copyright © 化学雑学帳 Chem+ All Rights Reserved.
忍者ブログ [PR]